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| 三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん)は、1915年(大正4年)12月9日から12月14日までにかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢で発生した熊害事件。エゾヒグマが開拓民の集落を二度にわたって襲撃し、死者7人・負傷者3人を出した後、猟師の山本兵吉により射殺された。三毛別事件(さんけべつじけん)や六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれ[1]、日本史上最悪の熊害と評されることもある[2]。 事件の経緯 ![]() クマの出現六線沢と呼ばれていた開拓集落は現在のルペシュペナイ川上流域にある。苫前の中心部から30キロメートルほど南東で、15軒の家があった[9]。 1915年(大正4年)11月初旬、池田富蔵家にヒグマが現れ、軒下のトウキビが被害に遭った。同月20日未明にも再びヒグマが現れ、被害はなかったものの、富蔵はクマの脅威を身近に感じ始め、何か対策を打たなければならないと不安を募らせていた[10]。30日、富蔵はマタギ2人に張り込みを頼んだ。ヒグマが現れたが、傷を負わせたのみで取り逃がした[11]。 事件発生 第一の襲撃事件 12月9日、太田三郎家に残っていた内縁の妻阿部マユと、養子に迎える予定だった蓮見幹雄(6歳)がヒグマに襲われた。これは一連の襲撃事件のうち、最初の襲撃であった。 三郎は山での作業のため不在だったが、帰宅時に囲炉裏に座っている幹雄を発見した。三郎は、幹雄が寝ているのだと思い近づいてみたところ、喉と側頭部に親指大の穴が開いており、既に息絶えていた[12]。さらにヒグマはマユの体を引きずりながら、土間を通って窓から屋外に出たらしく、窓枠にはマユのものとおぼしき数十本の頭髪が絡みついていた[13] [14]。加害クマを追跡するにはすでにもう遅い時間で、日没が迫る中、住民たちに打つ手はなかった[14]。 ![]() ![]() ![]() 翌日の12月10日9時頃、捜索隊が結成された。あまりにも近い場所からクマが出てきたため、驚いた一行は慌てふためいて銃口を向けたが、手入れが行き届いておらず、発砲できたのは1丁のみであった[15]。 銃声を聞いてヒグマが逃走した後、男たちがヒグマのいた付近を確認すると、トドマツの根元に黒い足袋を履き、ぶどう色の脚絆が絡まる膝下の脚と頭蓋の一部しか残されていないマユの遺体を発見し、収容した[15]。このヒグマは人間の肉の味を覚えた。マユの遺体を雪に隠そうとしたのは保存食にするための行動であった。 第二の襲撃事件 同日夜、太田宅で幹雄とマユの通夜が行われたが、村民はヒグマの襲来に怯え、参列したのは六線沢から3人と三毛別から2人、幹雄の両親とその知人、喪主の太田三郎のあわせて9人だけだった[15]。 20時半ごろ、太田宅にヒグマが乱入してきた。ランプが消え、棺桶が打ち返されて遺体は散らばり、恐怖にかられた参列者たちは梁に上ったり屋外に飛び出したりと、右往左往の大混乱となった[16]。幹雄の父親である蓮見嘉七はいち早く妻のチセを踏み台にして屋根裏の梁に駆け上がり、踏み倒されたチセは参列者の堀口清作に助けられてようやく天井の梁に逃れた。嘉七は死ぬまでチセに頭が上がらなかったという。300 m先の家で食事をしていた50人が駆けつけたが、ヒグマはこの時には姿を消していた。犠牲者が出なかったことに安堵した一同は、太田宅から500 mほど下流にある明景家に退避しようと下流へ向かった[17]。 そのころ明景家には、戸主・明景安太郎(40歳)、その妻・明景ヤヨ(34歳)、長男・力蔵(10歳)、次男・勇次郎(8歳)、長女・ヒサノ(6歳)、三男・金蔵(3歳)、四男・梅吉(1歳)の7人と、事件を通報するため30kmほど離れた苫前村役場や19kmほど離れた古丹別巡査駐在所に向かっていた斉藤石五郎(42歳)[18]の妻で妊婦の斉藤タケ(34歳)、三男・巌(6歳)、四男・春義(3歳)の3人、そして事件のあった太田宅の寄宿人で男手として明景宅に身を寄せていた長松要吉(59歳)の合計11人(タケの胎児を含めると12人)がいた[16]。 (苫前町立郷土資料館) 太田家からヒグマが消えて20分と経たない[16]20時50分ごろ、激しい物音と地響きを立てながら、窓を突き破って黒い塊が侵入してきた。ヤヨはその塊に「誰だ」と呼びかけたが、それはヒグマであった。混乱の中で囲炉裏とランプの火が消え、ヒグマは暗闇の中で人々に次々と襲いかかった[19]。 ヤヨと彼女に背負われていた梅吉はクマに噛まれて負傷するも、クマは逃げる要吉に気を取られたため難を逃れ、外に逃れた。一方で追われた要吉は牙を腰のあたりに受けて重傷を負った[20]。さらにヒグマは居間にいた金蔵と春義を殺害、巌に噛みつき重傷を負わせる。野菜置き場に隠れていたタケは気づいたヒグマによって居間に引きずり出され、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたがやがて意識を失い、上半身から食われて殺害された[21]。 激しい物音と絶叫を聞いて駆けつけた村の男たちは、負傷したヤヨに助けを求められた。「家を焼き払う」「一斉銃撃をする」などの案も出たが、中に生存者がいることを案じたヤヨの反対で止められた。生存者を救出したうえで家を取り囲み鉄砲を空に向かって放つと、ヒグマは玄関から躍り出て男たちの前に現れ、彼らが撃ちあぐねているうちに裏山の方へと姿を消した[21]。男たちが家の中に入って様子を確認したところ、殺害されたタケの腹は破られ胎児が引きずり出されていたが、ヒグマが手を出した様子はなく、そのときには少し動いていたという(後に死亡)[22][20]。 結果的にこの日の襲撃では、タケ、金蔵、巌、春義、タケの胎児の5人が殺害され、ヤヨ、梅吉、要吉の3人が重傷を負った[23]。力蔵は雑穀俵の後ろに隠れ生還、ヒサノは失神し居間で倒れていたが、同じく生還した[22]。勇次郎は、母・ヤヨや弟・梅吉が重傷を負いながらも共に脱出し、奇跡的に無傷だった[23]。 この夜の襲撃を受けて、六線沢集落の全住民は三毛別にある三毛別分教場(後に三渓小学校になるが廃校)へ避難することになり、重傷者達も3km川下の辻家に収容されて応急の手当てを受けた。巌は母・タケの惨死を知る術もないまま、「おっかぁ!クマとってけれ!」とうわ言をもらし、水をしきりに求めつつ20分後に息絶えたという[24]。 駆除に至る経緯 討伐隊の組織 12月12日、斎藤石五郎から通報を受けた北海道庁警察部(現在の北海道警察)は、管轄の羽幌分署長の菅貢に討伐隊の組織を指示、本部は三毛別地区長の大川興三吉宅に置かれた[22]。しかし、林野に上手く紛れるヒグマをすぐに発見することはできなかった[22]。 ヒグマには獲物を取り戻そうとする習性があり、これを利用してヒグマをおびき寄せる策が提案され、隊長の菅はこの案を採用し、遺族と住民に説明した[22]。こうして、明景宅に残された犠牲者の遺体を「餌」にしてヒグマをおびき寄せるという作戦が採用された[25]。作戦はただちに実行されたが、家の寸前でヒグマは歩みを止めて中を警戒すると、何度か家の周囲を巡り、森へ引き返していった[25]。その後太田宅に3度目の侵入を企てたが、結局射殺することはできなかった[25]。 翌13日、陸軍歩兵第28連隊の将兵30人が出動した。一説にはこの日は出動せず、14日までにヒグマが討伐されなければ出動を要請することになったともいわれる[26]が、陸軍のいた旭川から六線沢までは当時数日かかったため、しばらくは警察と住民のみで集落を守らなければならなかった[27]。同日には住民が避難して無人になっていた六線沢の8軒がヒグマに侵入される被害に遭い、猟師の山本兵吉(当時57歳)がそのうち1軒にヒグマが侵入するのを目撃したが、射殺には至らなかった[25]。 20時ごろ、三毛別と六線沢の境界にある氷橋(現在の射止橋)で警備に就いていた1人が、対岸に6株あるはずの切り株が明らかに1本多く、しかもかすかに動いていることを不審に感じた[25]。菅はその方向に呼び掛けたところ返事がなかったため熊だと判断、菅の命令によって撃ち手が対岸や橋の上から銃を放つと怪しい影は動き出し、闇に紛れて姿を消した[28]。 事件終息熊に傷を負わせた翌朝、足跡と血痕が発見された。けがを負っているなら動きが鈍るであろうと判断した菅は、急ぎ討伐隊を足跡が続く山の方角へ差し向ける決定を下した[28]。一方、前日にヒグマの姿を目撃していた山本は、討伐隊の一行とは別行動で山に入った[29]。 山本は討伐隊より先に山を登り、ヒグマを発見した。ヒグマは討伐隊の方向に意識を向けており、山本には気づいていなかった。20 mという至近距離まで接近した山本はハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えて[28]背後から発砲し、心臓付近に命中させた。しかしヒグマは怯むことなく立ち上がり、山本を睨みつけた。山本は油断なく2発目を発砲し、ヒグマの頭部を貫通。10時、一連の事件を引き起こしたヒグマは絶命し、事件は終息した[30][31]。 12日からの3日間で投入された討伐隊員は官民合わせて延べ600人、アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼった[32]。ヒグマの死骸は住民たちによってそりで下ろされた。すると、にわかに空が曇り雪が降り始め[32]、事件発生からこの3日間は晴天が続いていたが、この雪は激しい吹雪に変わり[2- 1]そりを引く一行を激しく打ちつけた。この天候急変を村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ[33]。 集落に下ろされたヒグマは三毛別分教場で解剖され、胃から人肉や衣服などが発見された[34]。さらに、解剖を見物しに来た人々が「このクマは太田宅を襲撃する数日前に雨竜、旭川付近、天塩で3人の女性を殺害し食害に及んだクマである」と次々に証言、胃の中からは実際に彼女らが身に着けていたとされる衣服の切れ端などが見つかり、その証言が裏づけられることとなった[35][注釈 2]。その後、ヒグマの毛皮や頭蓋骨などはそれぞれ人の手に渡った後に、現在は行方不明になっている[37]。 事件の記録 この事件は人々の記憶から消えた。それは、1878年(明治11年)1月11日-12日にヒグマが3人を殺害した札幌丘珠事件[38]の記録が詳細に残されたことが影響している。高倉新一郎も著作でこの事件を大きく取り上げる一方で、三毛別羆事件は補足的な採録にとどまり、被災の詳細などにも間違いが見られる[39][40]。 1961年(昭和36年)当時、古丹別営林署の林務官として苫前町内に勤務していた木村盛武が、「世界に類を見ない大事件が埋没してしまうのは学術的にも良くない」と考え、30数人の関係者から証言の聞き取りを行った[41]。木村が調査を行うまで、極寒の僻地で起こったことなどから発生当時の新聞報道も不正確な記述が多く、当事件に関する正確な記録は残っていなかった[41]。事件発生から50年後の1965年(昭和40年) 、証言をまとめた『獣害史最大の惨劇苫前羆事件』を旭川営林局誌『寒帯林』で発表[41][42]、 1994年(平成6年)には『慟哭の谷 戦慄のドキュメント 苫前三毛別の人食い熊』として書籍化された[43]。 |
ヒグマ(羆、緋熊、樋熊、学名:Ursus arctos[3])は、クマ科に属する哺乳類である。ホッキョクグマと並びクマ科では最大の体長とされる。また、エゾヒグマは現代の日本列島に生息する最大の陸棲哺乳類であり、現代でも同列島に生息している数少ないメガファウナの一種である。また、ロシアやフィンランドの国獣である。 学名 学名「Ursus arctos」の「Ursus」はラテン語でクマを意味し、「arctos」もギリシャ語でクマを意味する「ἄρκτος」をラテン文字化したものである。 分布 ヨーロッパからアジアにかけてのユーラシア大陸と北アメリカ大陸、北海道に幅広く生息している。その生息地は温帯からツンドラ気候の地域(北極海沿岸など)にまで及ぶ。現存するクマ属の中では最も広く分布する。亜寒帯・冷温帯などに生息するイメージが強いとされ実際にその傾向があるが、生息域は過去には地中海沿岸やメキシコ湾岸やなど温暖な地域にまで及んでいて、人間による開発や乱獲によって減少し、人口密度の低い北方に生息するようになったとされる。個体群や亜種の絶滅は過去150年間に集中し、アラスカを除く北米大陸と西欧で著しい。北アフリカに分布していたアトラスヒグマが1870年に絶滅したことで、クマ科がアフリカ大陸から消失している。日本列島では後期更新世までは本州にも生息していた[3]。 分類 亜種→詳細は「en:Subspecies of brown bear」を参照 基亜種はユーラシアヒグマ (U. a. arctos)。ヨーロッパヒグマともいう。ヨーロッパから西シベリアにかけて生息するが、主要な生息域はロシアである。イギリスで絶滅など、ロシア以外の多くの国では個体数が激減している。他に、 北アメリカ北西部に生息するハイイログマ(グリズリー、U. a. horribilis) アラスカに生息するコディアックヒグマ(Kodiac Bear U. a. middendorffi) 北海道に生息するエゾヒグマ(U. a. yesoensis, U. a. ferox Temminck, 1844, or U. a. lasiotus Gray, 1867) ヒマラヤ山脈周辺に生息しているヒマラヤヒグマなど、計15程度の亜種がある。 絶滅亜種としては、メキシコハイイログマ(U. a. nelsoni)、カリフォルニアハイイログマ(U. a. californicus)、19世紀のアフリカ大陸北部の地中海沿いのアトラス山脈周辺に生息したアトラスヒグマ(U. a. crowtheri)が存在していた。なお、20世紀初頭に最大級の亜種であるカムチャッカオオヒグマ(U. a. piscator)が絶滅したとされていたが、近年はカムチャッカヒグマ(U. a. beringianus)のシノニムの一つとして扱われている[4]。 エゾヒグマ→詳細は「エゾヒグマ」を参照 2009年10月には国後島で白い個体の撮影に成功しており、同島に生息する推定300頭の1割が白色個体とみられ引き続き調査が行われている。2012年の夏には北海道西興部村でもアルビノと見られる個体が目撃されている[7]。 雑種→詳細は「ハイイログマとホッキョクグマの雑種」を参照 ホッキョクグマはヒグマの近縁種であり、生殖的隔離が存在しない。通常北極圏ではヒグマは陸、ホッキョクグマは海と生息域がことなり混血の機会はないが、自然環境でも両者の混血の発生事例が報告されており、地球温暖化の影響が懸念されている。 形態 オスの成獣で体長2.0 - 2.8mで体重は250 - 500kg程度に達する。メスは一回り小さく体長1.8 - 2.2mで体重は100-300kgほど。がっしりとした頑丈な体格を持ち、頭骨が大きく肩も瘤のように盛り上がっている。 個体群によって体毛の毛色に差異が見られる場合があり、たとえば千島列島には部分的に白や銀に変色した体毛を持つ個体が散見され、ごく稀に北海道でもその様な事例がある[8][9]。この現象の厳密な原因は不明だが、各個体群が受け継いでいる染色体の中の遺伝子座が作用している可能性がある[9]。また、千島列島における白や銀の体毛を持つ個体は、通常の個体よりも狂暴性が低い傾向があるという意見も存在する[9]。 ヒグマは栄養状態によって生じる個体差が顕著で、溯上するサケ・マス類を豊富に食べられる環境にいるヒグマは大きい。中でも有名なのが、アラスカ沿岸のコディアック島、南西部のカトマイ国立公園と、極東ロシアのカムチャツカ半島に生息するヒグマで、共に500kg以上の個体が記録されている。野生のヒグマで最大の記録はコディアック島で捕らえられた個体で1,134kg(2,500ポンド)以上[10][要検証]。エゾヒグマでも、1980年に羽幌町で射殺された体重450kgの通称「北海太郎」や、1982年に古多糠の牧場で子牛3頭を襲った500kgの雄(6歳)、2007年11月にえりも町の猿留川さけ・ます孵化場の箱罠にかかった推定年齢17歳・520kgのオスなど大型の個体もおり、近年大型化しているとの指摘もある[要出典]。このます孵化場の箱罠では、300kgの個体も捕獲されている。三毛別羆事件を引き起こした通称「袈裟懸け」は340kgであった[11]。 生態 食性は雑食だが、同じクマ科のツキノワグマに比べると肉食の傾向が大きい。シカやイノシシ、ネズミなどの大小哺乳類、サケやマスなどの魚類、果実などを主に食べる。トラやオオカミなどの他の肉食獣が殺した獲物を盗むことも近年の研究で明らかとなった。家畜はヒグマにとって格好の獲物ではあり襲撃も増加している[12]。まれに人を捕食することもあり、一度でも人を食べたヒグマは人間を襲う傾向があるため、極めて危険である[13]。また自分が捕獲した獲物に対して強い執着心を示すため、ヒグマに奪われた物を取り返す行為は危険である。地上を走行する時の最高時速は48kmである[14]。 川を遡上するサケを待ち伏せして捕食することも有名である。ただし、ヒグマの栄養源のうちサケが占める割合は北米沿岸部の個体群では栄養源全体の30%以上であるのに対し、知床半島に生息するヒグマでは栄養源全体の5%にすぎなくなっているとされ、遡上減による生態系への影響が懸念されている[17]。 冬季には巣穴で冬眠をする。冬眠中には脈拍、呼吸数が大幅に減少する。この間(通常2月)に出産するが、出産したばかりの子供の体は非常に小さい。冬眠しない個体もあり、人を襲う場合もある。 成獣にはトラが天敵となる。シベリアでは生息域が重なるためトラとは敵対関係にある。 トラとヒグマが遭遇し対立した44の事例の内、これらの22例でヒグマが殺され、12例でトラが殺され、10例で互いに生き残り別れた[18]。大きなオスのヒグマは、メスのトラや小型のトラには勝ち目があるが、オスのトラへの勝ち目は薄い[19]。ロシアから中国の太平溝自然保護区にトラが入って来た時、この地域でのヒグマの出没頻度が著しく減少したという報告がある[20]。 ヒグマはホッキョクグマに対しては優位である。 ボーフォート海岸沿いの地域ではヒグマとホッキョクグマの生息域が重なっているが、 ヒグマとホッキョクグマが獲物を争う観測された137の事例ではうち124回はホッキョクグマの逃走で終わった[21]。 イノシシ、ロバ等の家畜、ワピチ、ヘラジカ、アメリカバイソン等の中・大型の動物はヒグマの成獣を殺すことがあり、健康で成熟した大型種(ワピチの雄、ヘラジカ、アメリカバイソン)はヒグマの捕食対象になることは無い]。 人間との関わり →「熊害」も参照 日本
ヒグマの毛皮は古くから交易品であり、『日本書紀』斉明5年(659年)条には、次のような記述が見られる。「来日した高句麗使人がヒグマの皮一枚を綿60斤で売ろうとしたが、日本側の市司(いちのつかさ)は笑って相手にしなかった。その後、使人は、高麗画師子麻呂の家を訪ねるが、官から借りたヒグマの皮70枚を敷き詰められて接待を受けたため、高値で売ろうとした事を恥じ、不思議に思った」。7世紀において、列島北方との交流をうかがわせるものであり、半島からの交易物による文化的優位性に対抗した話とみられる[28]。 アイヌは、ヒグマやエゾタヌキなど狩猟の対象となる生き物を、「カムイが人間のために肉と毛皮を土産に持ち、この世に現れた姿」と解釈していた。その中でも特にヒグマをキムンカムイ(山の神)として崇め、猟で捕えた際は「自分を選んでたずねてきた」ことを感謝して祈りを捧げ、解体した後は頭骨にイナウを飾り付けて祀った。さらに春先の穴熊狩りで小熊を捕獲した際は、コタン(村)に連れ帰って一年間大切に育てることで「人間界の素晴らしさ」を伝え、毎秋にはイオマンテ(熊送り)と呼ばれる祭を催し、ヒグマの仔を殺すことで天に返した。人間に大切にもてなされた熊の霊に天上界で「人間界の素晴らしさ」を広めてもらい、それによって更に多くのカムイが人間界へ「肉と毛皮の土産」を携えて訪問することを期待するのである。人間を傷つけたヒグマはウェンカムイ(悪い神)とみなされる。熊狩りの際に重傷を負わされた場合、そのヒグマの肉や毛皮を利用はするものの、頭骨を祀ることはしない。人間を食い殺したヒグマを捕えた場合は、その場で切り刻んで放置し、腐り果てるにまかせる。アイヌの伝承において、エゾタヌキはヒグマの巣の近くに巣を作るが、なぜか捕食されないことから、ユーカラではヒグマの世話役として描かれる[29][30][31]。 現代ではヒグマはキタキツネとともに、北海道観光の象徴的なマスコットとされ、アイヌが儀礼用の道具に彫るものから木彫りの熊まで幅広い商品がある。登別温泉などにあるクマ牧場のように観光用のヒグマ飼育施設まで存在する。そこではヒグマに芸を仕込んでいることもある。 同時に、野生ヒグマによる人や農漁業への被害、鉄道線路への侵入や列車との衝突事故も深刻であり、2021年度の死傷者数は12月時点で12人と、北海道庁が1962年度に集計を開始して以来の記録であった8人(1964年度)を上回り最悪となった[32]。駆除の優先度も、エゾシカなどに比べて高い。その被害も農作物への被害(夕張メロンなど)から、家畜、畜産物、人的被害にまで及ぶ。明治時代には北海道で多数の人間が襲撃されており、苫前三毛別羆事件のように小規模な天災に匹敵する死者(7人死亡、3人重傷)を出すことすらある。また近年になって増加傾向にあり、遭遇事故だけでも年々増加してきている[33][34][35]。 世界遺産となった知床半島において、観光客やカメラマンがヒグマを撮影しに多数訪れるようになり、ヒグマを至近距離から多人数で取り囲んだりするなどの行為が報告されるようになり、環境省や学識経験者などは、いずれは人身事故が起こりかねないとして、こうした危険行為を慎むよう警告している[36]。 日本に限ったことではないが、人間が山中にごみをポイ捨てしたり、あまつさえ(攻撃性をあまり示さない)個体に餌を与えたりなどすることで、クマがヒトの食物の味を学習し、人に興味を持ったり人里に出ようとする事案が後を絶たない。保護団体ではエアソフトガン等で痛めつけてヒトの恐ろしさを学習させるなどして、山に帰るよう促しているが、それでも治らない個体は、自治体がハンター団体に依頼して殺処分される。そのような個体はいずれヒトを襲うようになる恐れがあるからである。北海道は道内のヒグマ生息数(平成24年度)を10,600頭±6,700頭と推定している[37]。OSO18と呼ばれる個体は2019年から数年にわたって放牧された牛を捕食している[38]。「山で一番怖いもの」「山の主人」との意味で、北海道では野性のヒグマは「山親爺」とも呼ばれる[39]。 2022年4月、北海道庁は新たにヒグマ対策室を新設[40]。同5月、ヒグマによる被害や出没状況に応じて「警報」や「注意報」を発出、住民に注意を呼びかける制度を始めた[41]。2025年7月12日、福島町で新聞配達員の男性がヒグマに襲われて死亡した事故を受け、同町全域で強い警戒を促す「ヒグマ警報」が発出された。2022年5月に注意報や警報の制度ができて以来初めて[42]。7月18日に同町で駆除されたヒグマ1頭が12日に新聞配達員の男性を襲い死亡させたヒグマと同一個体であると判明したため、19日に「警報」は解除されたが、目撃情報などから別の1頭が付近にいる可能性もまだ否定はできないとして「注意報」が出され注意が呼びかけられた[43]。 2025年9月施行の改正鳥獣保護管理法においては、市町村の判断で市街地でも特例的に猟銃が使えるようになる(「緊急銃猟制度」[注 2][45])。従来は住宅密集地での猟銃の発砲は原則として禁止されており、ハンターは警察官の許可がなければ発砲できず、クマ被害への迅速な対応において課題とされていた[44]。改正鳥獣保護管理法の施行を前にした8月28日、北海道猟友会は、人身事故が起きた場合のハンターへの補償が不十分なことを理由として、ハンターが自治体の発砲要請に応じないことを容認する方針を各支部に通知することを明らかにした[46]。10月24日、札幌市西区西野の公園でヒグマ2頭に対する緊急銃猟が行われ、ヒグマに対する初めての緊急銃猟の実施となった[47]。 北米北米先住民にとって、ヒグマをはじめとするクマは畏敬と信仰の対象であった。プエブロ・インディアンの焼き物や宝飾品、ズニ族のフェティッシュと呼ばれる動物をかたどったお守りには、クマのモチーフが好んで用いられる。 北米では、絶滅の危機に瀕する種の保存に関する法律をはじめとする保護法の発効以来ヒグマの個体群数は回復の傾向にあるが、放牧業を営む畜農家との軋轢、拡大する住宅地、国立公園などでの観光客との接触、ハンターとの接触、交通事故など、人とヒグマとの共存は容易ではない。 ハイイログマの個体群は、アメリカ合衆国では絶滅危惧特別個体群(Threatened Distinct Population Segment)、カナダでは絶滅危機特別個体群(Endangered Distinct Population Segment)に指定され、連邦法と州法で保護されている。
ワシントン条約附属書I類[1] ヒグマが登場する作品
映画
ドラマ小説
エッセイ漫画
その他
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