「戦争と平和」語りつぐ、第2次大戦、記憶に残そう過去の戦争戦後80年に向けて「私たちの平和論」https://nspc.naga-masa.com/005.html

太平洋戦争の戦禍や記憶、平和学習に関する記事の一覧です。2025年の戦後80年に向けたシリーズ「私たちの平和論」の特集ページはこちら
動画ニュース

ABEMA
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ABEMA(会見) 
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日テレニュース
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STVニュース
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FNNニュース 
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TBSニュース
https://tver.jp/live/special/lexcqiug5m
NHKワールド
https://qr.paps.jp/ueo7K
BBCジャパン
https://www.youtube.com/@BBCNewsJapan

<戦後80年>被爆2世が「母の叫び」証言 帯広で平和のつどい
<戦後80年>被爆2世が「母の叫び」証言 帯広で平和のつどい
 原爆の悲惨さを伝えるイベント「2025年戦後・被ばく80年 平和のつどい」(実行委主催)が21日、帯広市のとかちプラザで開かれた。市...
祖父の戦争、伝える紙芝居 美幌の小学生男児、三十数年前に作成 博物館が映像化「貴重な記録」
祖父の戦争、伝える紙芝居 美幌の小学生男児、三十数年前に作成 博物館が映像化「貴重な記録」
 【美幌】太平洋戦争に出征し、戦友が次々命を落とす中、命からがら帰還した祖父(故人)の話を基に、当時小学生の男児が三十数年前に作成した...
被爆に向き合う決意の年末 胎内被爆者の札幌・相原さん 母のヒロシマ 「知っておかないと」<戦後80年>
被爆に向き合う決意の年末 胎内被爆者の札幌・相原さん 母のヒロシマ 「知っておかないと」<戦後80年>
 札幌市東区に住む主婦相原宏子さんは12月、80歳になった。生まれは広島。1945年8月6日に原子爆弾が落とされた時、母親のおなか...
苫小牧の戦争史たどって 市美術博物館で写真や絵画など展示
苫小牧の戦争史たどって 市美術博物館で写真や絵画など展示
 【苫小牧】苫小牧市美術博物館で、現存するトーチカ(小型防御陣地)などを紹介する特集展示「勇払平野の戦争遺跡」と太平洋戦争期の美術作品...
<戦後80年>「家族連れ戻す」命懸け満州再渡航 妹背牛生まれ・故大崎幸男さん バナナ行商装い…避難先突き止め再会
<戦後80年>「家族連れ戻す」命懸け満州再渡航 妹背牛生まれ・故大崎幸男さん バナナ行商装い…避難先突き止め再会
 【妹背牛】戦時中に旧満州(現中国東北地方)で生き別れた家族を日本に連れ戻すために再び海を渡った人がいた。妹背牛町生まれの大崎幸男...
苫小牧に現存するトーチカ・銃撃痕…戦争遺跡から知る「平和」 20日から特集展示
苫小牧に現存するトーチカ・銃撃痕…戦争遺跡から知る「平和」 20日から特集展示
 苫小牧市内などに現存するトーチカ(小型防御陣地)や米軍による銃撃痕などを紹介する特集展示「勇払平野の戦争遺跡」が、20日から苫小牧市...
<いぶりん>2025西胆振 10大ニュース
<いぶりん>2025西胆振 10大ニュース
 今年も残すところわずか。2025年、西胆振ではさまざまなニュースがあり、この地域に関係する北海道新聞記事は計約2600本に上る。その...

核兵器「持つべきだ」 官邸関係者が記者団に発言
核兵器「持つべきだ」 官邸関係者が記者団に発言
 首相官邸関係者は18日、「私は核を持つべきだという立場だ」と官邸で記者団に述べ、日本は核兵器保有が必要だとの認識を示した。記者団の非...

特攻隊テーマに平和訴え アップダウン、笑い交え公演 帯広
特攻隊テーマに平和訴え アップダウン、笑い交え公演 帯広
 北海道出身のお笑いコンビ「アップダウン」による特攻隊を題材にした音楽劇「桜の下で君と」の公演が14日、帯広市民文化ホールで行われた。...
「リアル右翼」の今 変わる街宣 SNSへの葛藤も
「リアル右翼」の今 変わる街宣 SNSへの葛藤も
 保守的な思想を掲げ、右翼として生きる人たちがいる。インターネット空間で排外主義的な主張を行う「ネット右翼」の台頭や、右派的な主張...
「今は新しい戦中の前夜」 宮沢・レーン事件考える集い 樽商大・荻野名誉教授が講演
「今は新しい戦中の前夜」 宮沢・レーン事件考える集い 樽商大・荻野名誉教授が講演
 太平洋戦争開戦日に北海道帝国大(現・北大)の学生と米国人教師夫妻が逮捕された「宮沢・レーン事件」を考える集いが14日、札幌市北区の北...
戦後80年の長期連載を単行本化 「記者がたどる戦争」刊行
戦後80年の長期連載を単行本化 「記者がたどる戦争」刊行
 北海道新聞社は13日、戦後80年に合わせた長期連載を単行本化した「記者がたどる戦争」を発売する。記者の親族ら「個の証言」を出発点に戦...
戦後80年 平和を考える 鹿追小で被爆体験講話
戦後80年 平和を考える 鹿追小で被爆体験講話
 【鹿追】戦後80年の節目を迎える中、鹿追小で8日、被爆体験伝承者による講話が初めて行われた。社会科の授業の一環として、同小と笹川小の...
被爆「昔話ではない」 被団協・代表理事の田中さん、札幌で講演
被爆「昔話ではない」 被団協・代表理事の田中さん、札幌で講演
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表理事田中聡司さん(81)=広島市=が札幌市内で講演した。今も被爆の後遺症に苦しんでいること...
「赤紙」配り平和訴え 太平洋戦争開戦日に合わせ 北見
「赤紙」配り平和訴え 太平洋戦争開戦日に合わせ 北見
 旧日本軍がアメリカ・ハワイの真珠湾攻撃をし、太平洋戦争の開戦となった12月8日、戦時中の召集令状を模した「赤紙」のチラシがJR北見駅...
戦争や原爆考えよう 帯広で21日、被爆2世の土谷さん講演
戦争や原爆考えよう 帯広で21日、被爆2世の土谷さん講演
 戦争や原爆について考える「2025年戦後・被ばく80年 平和のつどい」(実行委主催)が21日午前10時から、帯広市のとかちプラザ(西...
非戦の誓い灯籠に込め 稚内赤れんが通信所で点灯 小学生、ハトや地球描く
非戦の誓い灯籠に込め 稚内赤れんが通信所で点灯 小学生、ハトや地球描く
 【稚内】太平洋戦争の開戦から84年となった8日、旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(通称・稚内赤れんが通信所)=恵北=で、灯籠をと...


歴史社会学者の内海愛子さん「スガモプリズン」刊行 獄中のBC級戦犯 実態は

戦時中の女性の役割解説 釧路で14日市民講座
戦時中の女性の役割解説 釧路で14日市民講座
 太平洋戦争中の女性の役割などを解説する市民講座が14日午後1時半~4時、釧路市幣舞町の市生涯学習センター5階で開かれる。北海道情報大...
核なき世界願い初の共同声明 道内平和4団体、政府に条約参加求める
核なき世界願い初の共同声明 道内平和4団体、政府に条約参加求める
 1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦から84年となった8日、北海道被爆者連絡センターなど北海道内の平和4団体が核なき世界を目指す...

歴史社会学者の内海愛子さん「スガモプリズン」刊行 獄中のBC級戦犯 実態は
 「戦犯」という言葉から何を思い浮かべますか? そう問うのは、歴史社会学者で恵泉女学園大名誉教授の内海愛子さん(84)だ。最近も「...


生徒「戦争は自分事」 北広島・東部中で「ペリリュー」試写会 エルフィンパークでパネル展も
生徒「戦争は自分事」 北広島・東部中で「ペリリュー」試写会 エルフィンパークでパネル展も
 【北広島】太平洋戦争の激戦地・パラオ・ペリリュー島の戦いを題材にしたアニメ映画「ペリリュー―楽園のゲルニカ―」の試写会が北広島市東部...


経験の言い伝えが「肝心」 十勝連合遺族会 初の「語り部」育成研修会
経験の言い伝えが「肝心」 十勝連合遺族会 初の「語り部」育成研修会
 帯広市を除く16遺族会で構成する十勝連合遺族会は11月27日、「平和の語り部」を育成する研修会を帯広市内で開いた。戦後80年となり直...
戦争の記憶、アニメ映画で後世に 北広島の試写会に原作者・武田一義さん 太平洋戦争の激戦地・ペリリュー島題材
戦争の記憶、アニメ映画で後世に 北広島の試写会に原作者・武田一義さん 太平洋戦争の激戦地・ペリリュー島題材
 【北広島】太平洋戦争の激戦地、パラオ・ペリリュー島の戦いを題材にしたアニメ映画「ペリリュー―楽園のゲルニカ―」の試写会が1日、北広島...
四島の記憶「撮影続ける」 元島民3世の写真家・山田さん、羅臼で講演
四島の記憶「撮影続ける」 元島民3世の写真家・山田さん、羅臼で講演
 【羅臼】北方領土の元島民3世で、写真家の山田淳子さんの講演会が、羅臼国後展望塔で開かれた。元島民の思いを伝え、記憶を継承していく重要...


核廃絶「若い人にも訴えたい」 札幌で高校生が署名運動
核廃絶「若い人にも訴えたい」 札幌で高校生が署名運動
 核兵器廃絶を目指す「高校生1万人署名」の活動が30日、JR札幌駅近くの商業施設前で行われた。札幌市内の高校生7人が街頭に立ち、核廃絶...


<記者がたどる戦争 特別編>道内出陣学徒80年前の足跡㊤ 急転直下、理系でも徴兵

<記者がたどる戦争 特別編>道内出陣学徒80年前の足跡㊤ 急転直下、理系でも徴兵
 「信ジラレズ 如何(いか)ナル事情ニテ突如変更トナリシヤ」  いらだちをにじませたような文面だった。  北海道新聞の記者...
<記者がたどる戦争>減る語り部「封印」解く 釧路報道部・小川正成㊦
<記者がたどる戦争>減る語り部「封印」解く 釧路報道部・小川正成㊦
 私は小学校の後半約3年を広島市で過ごした。5、6年時の担任だった石川律子先生(79)=広島市=は原爆で両親を亡くし、自身も被爆した。...
<記者がたどる戦争>偶然に導かれ 父を知る 釧路報道部・小川正成㊥
<記者がたどる戦争>偶然に導かれ 父を知る 釧路報道部・小川正成㊥
 私の小学校時代の担任石川律子先生(79)=広島市=は1歳の時に自宅で被爆した。爆心地近くの小学校に勤務していた教員の父正(さだむ)さ...
<記者がたどる戦争>原爆孤児支えた、心の親 釧路報道部・小川正成㊤
<記者がたどる戦争>原爆孤児支えた、心の親 釧路報道部・小川正成㊤
 「どうか原爆の本当のことを(子どもたちに)伝えてください」 ■教員向け講演  「広島原爆の日」の8月6日、広島市立己斐(...
<記者がたどる戦争>古里択捉 隣人はソ連兵 北見報道部・水野薫(42)
<記者がたどる戦争>古里択捉 隣人はソ連兵 北見報道部・水野薫(42)
 2016年9月、父の水野克男(82)と北方領土ビザなし渡航で択捉島の紗那(しゃな)を訪れた。北方四島からの強制退去(※1)以...
<記者がたどる戦争>パガン島 忘れられた戦場 千歳支局・加藤祐輔(32)
<記者がたどる戦争>パガン島 忘れられた戦場 千歳支局・加藤祐輔(32)
 「お父さんはパガン島に行っていたっけな」  曽祖父の佐藤三四治(みよじ)(1999年に86歳で死去)が戦地に赴いていたことを7...
<記者がたどる戦争>時代と距離 祖父の諦観 写真映像部・北波智史㊦
<記者がたどる戦争>時代と距離 祖父の諦観 写真映像部・北波智史㊦
 1942年(昭和17年)7月、私の祖父北波光之助(2009年に91歳で死去)が所属する部隊はフィリピンに駐留していた。同年に...
<記者がたどる戦争>戦地で病 転院強いられ 写真映像部・北波智史(40)㊤
<記者がたどる戦争>戦地で病 転院強いられ 写真映像部・北波智史(40)㊤
 「『赤い夕日の満州』と言うてな、夕日は信じられへんくらい大きかったんや。空気が乾燥してほこりが多かったからかな」  私が学...
<記者がたどる戦争>戦没者慰霊 生涯かけて 旭川報道部・和泉優大(28)㊦
<記者がたどる戦争>戦没者慰霊 生涯かけて 旭川報道部・和泉優大(28)㊦
 祖母の兄である大伯父鈴木健三郎(2005年に89歳で死去)は1946年6月に、ニューギニアから復員した。  故郷に無事...
<記者がたどる戦争>「魔の戦場」無力な衛生兵 旭川報道部・和泉優大(28)㊤
<記者がたどる戦争>「魔の戦場」無力な衛生兵 旭川報道部・和泉優大(28)㊤
 陸軍の衛生兵(※1)だった私の大伯父鈴木健三郎(2005年に89歳で死去)は1946年6月、故郷の山形県豊田村(現中山町)に同郷の兵...
<記者がたどる戦争>食糧難、終戦後も悪化 網走支局・青山千裕(23)
<記者がたどる戦争>食糧難、終戦後も悪化 網走支局・青山千裕(23)
 「叔父さんは戦争を経験しているよ」。札幌にある私の家の大家、小山裕子さん(62)=札幌市東区=と話をしていて、戦争が話題にな...
<記者がたどる戦争>空に憧れ 少年兵の苦悩 函館報道部・鹿内朗代(38)㊦
<記者がたどる戦争>空に憧れ 少年兵の苦悩 函館報道部・鹿内朗代(38)㊦
 「春風ノ吹キ出スコロニハ授業中、舟ヲ漕グ者モ相当居ル様ニナッタ」  これは東京陸軍少年飛行兵学校(※注)第6中隊第3区隊に所属...
<記者がたどる戦争>引き揚げ者支えた青春 函館報道部・鹿内朗代(38)㊤
<記者がたどる戦争>引き揚げ者支えた青春 函館報道部・鹿内朗代(38)㊤
 「毎日朝6時半と夕方5時に、札幌駅に引き揚げ列車が到着したの。20分くらい停車して、旭川方面に出発する。小さな子どもを何人も連れた人...


<記者がたどる戦争 特別編>道内出陣学徒80年前の足跡㊤ 急転直下、理系でも徴兵
<記者がたどる戦争 特別編>道内出陣学徒80年前の足跡㊤ 急転直下、理系でも徴兵
 「信ジラレズ 如何(いか)ナル事情ニテ突如変更トナリシヤ」  いらだちをにじませたような文面だった。  北海道新聞の記者...
<記者がたどる戦争>減る語り部「封印」解く 釧路報道部・小川正成㊦
<記者がたどる戦争>減る語り部「封印」解く 釧路報道部・小川正成㊦
 私は小学校の後半約3年を広島市で過ごした。5、6年時の担任だった石川律子先生(79)=広島市=は原爆で両親を亡くし、自身も被爆した。...
<記者がたどる戦争>偶然に導かれ 父を知る 釧路報道部・小川正成㊥
<記者がたどる戦争>偶然に導かれ 父を知る 釧路報道部・小川正成㊥
 私の小学校時代の担任石川律子先生(79)=広島市=は1歳の時に自宅で被爆した。爆心地近くの小学校に勤務していた教員の父正(さだむ)さ...
<記者がたどる戦争>原爆孤児支えた、心の親 釧路報道部・小川正成㊤
<記者がたどる戦争>原爆孤児支えた、心の親 釧路報道部・小川正成㊤
 「どうか原爆の本当のことを(子どもたちに)伝えてください」 ■教員向け講演  「広島原爆の日」の8月6日、広島市立己斐(...
<記者がたどる戦争>古里択捉 隣人はソ連兵 北見報道部・水野薫(42)
<記者がたどる戦争>古里択捉 隣人はソ連兵 北見報道部・水野薫(42)
 2016年9月、父の水野克男(82)と北方領土ビザなし渡航で択捉島の紗那(しゃな)を訪れた。北方四島からの強制退去(※1)以...
<記者がたどる戦争>パガン島 忘れられた戦場 千歳支局・加藤祐輔(32)
<記者がたどる戦争>パガン島 忘れられた戦場 千歳支局・加藤祐輔(32)
 「お父さんはパガン島に行っていたっけな」  曽祖父の佐藤三四治(みよじ)(1999年に86歳で死去)が戦地に赴いていたことを7...
<記者がたどる戦争>時代と距離 祖父の諦観 写真映像部・北波智史㊦
<記者がたどる戦争>時代と距離 祖父の諦観 写真映像部・北波智史㊦
 1942年(昭和17年)7月、私の祖父北波光之助(2009年に91歳で死去)が所属する部隊はフィリピンに駐留していた。同年に...
<記者がたどる戦争>戦地で病 転院強いられ 写真映像部・北波智史(40)㊤
<記者がたどる戦争>戦地で病 転院強いられ 写真映像部・北波智史(40)㊤
 「『赤い夕日の満州』と言うてな、夕日は信じられへんくらい大きかったんや。空気が乾燥してほこりが多かったからかな」  私が学...
<記者がたどる戦争>戦没者慰霊 生涯かけて 旭川報道部・和泉優大(28)㊦
<記者がたどる戦争>戦没者慰霊 生涯かけて 旭川報道部・和泉優大(28)㊦
 祖母の兄である大伯父鈴木健三郎(2005年に89歳で死去)は1946年6月に、ニューギニアから復員した。  故郷に無事...
<記者がたどる戦争>「魔の戦場」無力な衛生兵 旭川報道部・和泉優大(28)㊤
<記者がたどる戦争>「魔の戦場」無力な衛生兵 旭川報道部・和泉優大(28)㊤
 陸軍の衛生兵(※1)だった私の大伯父鈴木健三郎(2005年に89歳で死去)は1946年6月、故郷の山形県豊田村(現中山町)に同郷の兵...
<記者がたどる戦争>食糧難、終戦後も悪化 網走支局・青山千裕(23)
<記者がたどる戦争>食糧難、終戦後も悪化 網走支局・青山千裕(23)
 「叔父さんは戦争を経験しているよ」。札幌にある私の家の大家、小山裕子さん(62)=札幌市東区=と話をしていて、戦争が話題にな...
<記者がたどる戦争>空に憧れ 少年兵の苦悩 函館報道部・鹿内朗代(38)㊦
<記者がたどる戦争>空に憧れ 少年兵の苦悩 函館報道部・鹿内朗代(38)㊦
 「春風ノ吹キ出スコロニハ授業中、舟ヲ漕グ者モ相当居ル様ニナッタ」  これは東京陸軍少年飛行兵学校(※注)第6中隊第3区隊に所属...
<記者がたどる戦争>引き揚げ者支えた青春 函館報道部・鹿内朗代(38)㊤
<記者がたどる戦争>引き揚げ者支えた青春 函館報道部・鹿内朗代(38)㊤
 「毎日朝6時半と夕方5時に、札幌駅に引き揚げ列車が到着したの。20分くらい停車して、旭川方面に出発する。小さな子どもを何人も連れた人...


被爆ピアノ、平和願う旋律 コーラーさんが北広島で演奏会 「米国人の自分だからこそ」
 【北広島】1945年に広島市で原爆の被害を受けた「被爆ピアノ」を用いたコンサートが22日、JR北広島駅前の複合商業施設「トナリエ北広...
戦争遺跡、今も生々しく 市民団体が釧路巡るツアー
 市民団体「釧路負の遺産を守る会」(小棚木幸子代表)は24日、戦中に防御陣地として使われた鉄筋コンクリート製の「トーチカ」など、市内に...
<記者がたどる戦争>学校で教えない丘珠空襲 なぜ犠牲はなかったことにされたのか 報道センター若林彩(32)
 長さ6センチほどの銃弾が、優しく剛健だった一家の主の命を奪った。7月、札幌市内で開かれた丘珠空襲を学ぶフォーラムで、市内で唯一の空襲...
<記者がたどる戦争>同盟通信に勤労動員 敗戦直前「降伏」を口止めされる 編集センター・長谷川綾(52)
 「日本は戦争に負ける。でも誰にも言ってはいけない」  80年前の1945年(昭和20年)8月、北海道新聞旭川支社内にあった同盟通信...
<記者がたどる戦争>特攻被害の米艦 4カ月後体当たりした兵士の故郷函館を攻撃 編集センター・千鳥綾香(25)
 函館出身の特攻隊員福田幸悦さん(享年23)が1945年(昭和20年)3月に、西カロリン諸島のウルシー環礁で体当たりした米空母「ラ...
<記者がたどる戦争>函館出身の特攻兵 本土から出撃し南太平洋で米艦体当たり 編集センター・千鳥綾香(25)㊤
 <驕慢(きょうまん)な敵艦隊 眦(まなじり)を決して一閃(いっせん)降魔の翼 一挙これを南海の底に覆滅す>  函館市出身の特攻...
「樺太でロシア人と同居していた」 ナージャと呼ばれた94歳祖母が語る終戦秘話 <記者がたどる戦争>
 今年5月、赤平市で1人で暮らす祖母佐藤信子(94)を訪ねた。たわいない会話の中で、祖母は突然こう言った。  「樺太(サハリン)の家...
<記者がたどる戦争>北方領土洋上慰霊の参加者「やはり島で手を合わせたい」静内支局・福島なな(26)㊦
 根室管内羅臼町沖で8月17日に行われた「北方領土洋上慰霊」。霧の向こうに国後島が浮かぶ中、千島歯舞諸島居住者連盟(千島連盟)の松本侑...
<記者がたどる戦争>戦死の大叔父は現地で火葬 遺骨は歯舞群島に戻っていた可能性 静内支局・福島なな(26)㊤
 北方領土の島民2世の叔母堤江理(62)宅=根室市=に85年間眠っていた戦地からの手紙があった。専門家に解読してもらい、驚きの事実を知...
<戦争の正体を追う>降伏後の侵攻④ロシア、相次ぐ「機密文書」公開 強まる歴史宣伝、中国とも連携 対日参戦を正当化
 ロシア・サハリン州ユジノサハリンスクの歴史博物館「ロシア-マヤイストーリア(私の歴史)」。今月上旬に始まった第2次世界大戦末...
<記者がたどる戦争>復員した軍医に巣くったシベリア抑留の悪夢 報道センター・矢野旦(30)㊦
 「11/6 康ヨリ、岩波文庫新書ノ小包ヲ受取ル」  私の曽祖母の弟で軍医だった河野正(1947年に32歳で死去)の歩みをたどる中で...
<記者がたどる戦争>中国北部で軍医だった曽祖叔父は何をしたのか 報道センター・矢野旦(30)㊤
 丸眼鏡をかけ、穏やかな表情の写真が千葉県の親戚の家に残っていた。河野正。私の曽祖母(故人)の弟で、「曽祖叔父」にあたる。軍医だった。...
<戦争の正体を追う>降伏後の侵攻③元ソ連兵「北海道上陸の準備は整っていた」
 第2次世界大戦末期のソ連軍の北海道占領作戦について、日ソ戦争に参加したサハリン州在住の元ソ連兵2人が北海道新聞の取材に応じた。 ...
<記者がたどる戦争>元軍国少女は特攻兵士の遺影に涙 心の中で「ごめんなさい」 富良野支局・川上舞(36)
 大阪府富田林市に住む祖母大熊みち子(98)は戦時中、女子挺身(ていしん)隊員(※1)として航空機の部品を製造する大阪市此花区の工場で...
<戦争の正体を追う>降伏後の侵攻② 密約前に始まった米国のソ連支援 艦艇、車両、ガソリン…幅広く援助 四島上陸戦に「役立った」
 第2次世界大戦末期に、対日参戦したソ連軍と日本軍が激戦を繰り広げた千島列島最北端のシュムシュ島(占守島)。今年8月、その海岸で船...